学術書を出版するということ

今年も残すところ2カ月を切りました。今年の仕事を振り返ってみると、今までと比べて、ぐんと執筆の仕事が増えてきたなあと感じています。研究者なので、学術書とそれに準ずるものがほとんどです。

今手がけている執筆の仕事


個々の論文等を除く、今手がけているのが…

①博士論文の書籍化(単著)
②テキスト(教職(教育学)関係)の分担執筆
③テキスト(教職(教科教育)関係)の分担執筆
④専門に関わる史料の復刻・翻刻に関する書籍(共著)
⑤史料調査・整理の成果に関する報告書(共著)
⑥研究成果報告書(単著)

の6本です。
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実際にこれらが世に出るのは、来年から再来年にかけてになると思います。

こんなに成果を出す機会があること自体は光栄な限りなのですが、学術書を出版すること自体は、経済的な利益が期待できるわけではないです。この点が、一般的な執筆業と大きく異なる点だと思います。

儲かるわけでもないのに本を出版するというのは、いったいどういうことなのか?と疑問に思われる方も多いことでしょう。そこで、学術書を出版することの意味について、述べたいと思います。

学術書の経費


①以外は、印税が入らない(入ったとしてもごく僅か)代わりに、経費がほとんどかからず出版できます。

①に関しては、経費は著者負担です。これについては、博士課程に入学した頃から先輩方から聞いてはいましたが、かなり高額です。私の場合、一般的な学術書の倍のページ数になってしまったため、恐ろしい金額に!(新車1台並(T-T))

そこで、科研費の研究成果促進費(学術図書)に応募しました。これが獲得できると、自己負担が約1/3で済むので、この10月に、必死に申請書類を整えて、所属する研究機関を通じて応募しました(詳細は別の機会に)。

学術書を出版する意義

儲からないどころか、赤字(しかもかなり高額な)になるのに、なぜ書くのか?

第一に、「研究したことを世に示すこと自体に意味があるから」です。
博士論文を著書にする場合が多いですが、博士論文自体が、これまで誰も明らかにできなかったことを明らかにした成果なので、知的財産として世に示す価値あるものです。相当のエネルギーを費やして書いたものを、書籍という形にすることで、広く多くの方に手にとっていただけるという大きな役割があります。そして、その研究によって、他の研究の進展に大きく寄与することがあります。

第二に、学術書を書いていることで、「大学等の授業を担当するための要件を満たす」ことになるからです。
そのような成果物(論文でもOKですが)があることで、その分野の専門家と認められ、仕事をすることができます。特に、教職関係は業績が厳密にチェックされます。

第三に、第二のことと重なりますが、「大学の専任職の要件となるから」です。単著を2冊以上という条件がついているポストもあります。


以上のような事情・理由から、多額な”経費”をかけてでも、学術書を出版することに意味があるのです。学術書の出版が、直接的に収益につながるわけではないのですが、それがあることで、専門家として認識され、大学の非常勤講師の仕事、執筆、講演等の仕事が舞い込んできたり、共同研究のメンバーに加えていただけたり、大学の専任職のポストの声がかかることがあります。金銭的な面では先行投資がすぐに回収できるわけではありませんが、長い目で見たら、必要不可欠な先行投資なのです。