おめでたい話に、心がざわついたら
こんばんは。今日はB大学で授業でした。11月半ばにしては暖かく、清々しく気持ちの良い一日でした。B大学はキャンパスがとても美しく、そこにいるだけでとても癒されます。
さて、清々しいお天気とは対照的で対照的で、心が曇り、ざわつくことがあります。
大学非常勤講師にとって目下の課題は、経済的に安定して仕事をすること。その一番の王道は、改めて言うことではないかもしれませんが、大学の専任教員のポスト(任期なし)に就けることです。
熾烈な専任ポスト争奪戦が繰り広げられる中、周囲の方で、一人、二人と、めでたく就職が決まる話が聞こえてくることがあります。
直接報告を聞くこともあれば、風のたよりのことも。
その報告を聞くたびに、喜ばしい反面、心がざわついてしまうことはないでしょうか?
私は、今まで幾度となく経験しました。
例えば…
自分より論文の本数が圧倒的に少ない、
査読論文がほとんどない、
単著もない、
博士号も取っていない、
そもそも博論を出す要件を満たしていない、
非常勤講師としてのキャリアが1年未満、
コマ数も少ない…
という方が、任期なしの専任教員のポストにスルリと就職できたとします。
上のケースは、公募であれば、書類審査が通らないどころか、応募資格すら満たしていないレベルです。それでも、専任のポストが決まることがあります。
逆に…
論文の本数が潤沢、
査読論文が十分にある、
博士号も持っている、
単著もある、
非常勤講師だけでなく、大学での教歴(任期付)もある、
さらに、科研費をはじめとした競争資金を獲得している
なのに、なかなか専任(任期なし)の採用に至らないという方も多いのです。
採用に求められている条件を満たしていない方が、任期なしの専任のポストに就くことができ、ほぼ完璧に条件を満たしている方が報われないのは、本当に理解しがたいです。
完璧に満たしている方の不遇も、ご本人たちから何度も聞いてきました。こちらまで辛くなったことは数えきれません。
ところで。皆さんはこの「心のざわつき」に、どのように対処していますか?
私の場合、心がざわついたら、まずその感情に蓋をしないようにしています。つまり、ざわついている自分を認めます。
それから、とにかくその感情を、雑記帳に書き出しています。
親しい方に、報告がてらメールで軽くこぼすこともあります。
それでも、ざわつきが止まらないときは、家族や研究仲間、職場の仲間、すでに就職した先輩や友人に、愚痴に付き合ってもらいます(甘えてすみません&本当にありがとうございます)。
ついでに言うと、指導教授の先生やお世話になっている先生に、話を聞いてもらうこともあります(ご迷惑おかけして、本当にすみません)。そして、学生相談室に駆け込んだことも(院生時代)!
でも、今まで試したうち、一番ざわつきを収める有効な方法だったのは…
採用の条件のうち、自分がまだ満たしていないことに、とにかく打ち込むこと
でした。完璧に満たしていても採用されないことがあるんだから、まずはそれをクリアしようと思って、日々過ごすようにしています。
ちなみに、私が知る限り、完璧に条件を満たしている方は、時間はかかっても専任のポストをゲットしています。
なかには60代の方でも、専任ポストに就いていらっしゃいました。
最後まで諦めずにやることが、大成するポイントなんですね。